高麗史巻五十八

高麗史巻五十八 1451年

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一云 于山 武陵 本二島 相距不遠 風日清明則可望見
一説には、于山・武陵(鬱陵島)この二島は互いに距離は遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。

鬱陵島から、空気が澄み切った日に望見できる島は竹島しかないので、于山島とは竹島のことであると、説明される。
ところが、ネットで調べると、竹島日本領説を唱える人の中には、「鬱陵島から竹島を肉眼で見ることはほぼ不可能」などとの主張が見受けられる。
 どの程度の高さに見えるのかは、Excelを使えば簡単に計算できることなので、鬱陵島から竹島がどのように見えるかをシミュレートしたしだいである。高麗史地理誌の記述が正しいなら、高麗史地理志に言う于山と武陵が、現在の竹島と鬱陵島であることは、ほぼ間違いないだろう。

韓国側は、于山武陵二島は、(襄陽)縣の東海中にあり、二島は互いに遠くなく、天気が清明であれば、(二島が)互いに望み見ることができる、と翻訳し、于山島と現竹島に比定して領有権を主張する。

しかしこれは不正確であり、そもそも、則可望見という、原文には、たがいに見えるという記述はない。確かに、二島は互いに遠くない距離ではあるが、これがお互いに見えるとしているのではない。朝鮮王朝の地誌においては、「規式」という、地誌における書き方のルールがあり、これに基づいて記述する事になるが、島嶼を書くときのルール=規式には、半島から島嶼に関しての記述は「半島から島が見える」こととしている。

  • 最終更新:2014-12-01 12:44:06

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