独島問題概論

独島問題概論 第一章 第一節 六「鬱陵島開拓と独島」 1955年

韓国政府の外務部政務局が独島問題の政府関係者向けの内部資料として作成したもの。1900年の勅令第41号における「石島」は独島(竹島)ではないことを韓国政府が証明した資料。

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 島長は内務部から配置されて島の民政処理に当たったもので、体面維持も困難な程度であったが、光武5年(西紀1901年)に勅令によって鬱陵島を郡に改称し、島長を郡守に改定し、初めて地方行政の一単位とした。独島は記録と実際知識によって早くから知られており、鬱陵島の一属嶼として封禁期においても往来が絶えることがなかったのは前述したとおりで、独島をあえて鬱陵島の行政区域に編入したと宣言する必要もなかったのであり、また、ことさらに公的記録を残す理由もない。

 我々の古来の可支島、三峰島、于山等が、従前には海上孤縣の一岩嶼として、問題にしようとしても問題になるほどの事件があったこともなく、それが問題となったのは、日本人の海驢捕獲地として利用してその島根県領として編入したことに始まるのであり、このようになる前に鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録が無いからといって、独島が鬱陵島の郡守の管轄下にあったという事実を否認はできないのだ。したがって、独島を日本領として通告して来るや、光武10年に鬱陵島郡守が「我国所属独島」と記録して中央政府に報告してきたのだ。

  • 最終更新:2014-12-01 12:45:01

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