万機要覧

万機要覧 1808年

東国文献備考とともに韓国政府が于山島領有の根拠としている重要な資料。

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鬱陵島 在蔚珍正東海中
輿地志云 鬱陵于山皆于山國地 
于山即倭所謂松島也
鬱陵島が蔚珍の真東の海の中に在る。
輿地志に云う、鬱陵と于山はみな于山国の地。
于山は倭の所謂松島なり。

獨島問題 111問 111答 愼鏞廈(シン・ヨンハ)漢陽大学碩座教授
「于山島(独島)は倭人たちが言う松島だ」として、于山島がまさに今日の独島であることを重ねて明らかにしている。今日と違って、日本は1870年代末までは朝鮮の鬱陵島を「竹島(タケシマ)」と称し、朝鮮の独島(于山島)を「松島(マツシマ)」と称した。これは日本のすべての学者と日本政府も認めている事実だ。上の資料の二番目の文章において「于山島は倭人たちが言う松島だ」と言うのは、 「于山島はすなわち (今日の) 独島だ」という意味であるのだ。
だから、万機要覽軍政編は、独島が鬱陵島と共にどちらも昔の于山国の領土であることをはっきりと証明し、また、独島が1808年以前には韓国では「于山島」と呼ばれて韓国固有の領土だったことをはっきりと証明してくれるのだ。

この文が安龍福の証言を元にしているかどうかは定かではないが、『東国文献備考』や「疆界考」の書かれた時期、朝鮮人と日本人が鬱陵島で遭遇した時期を考えると『粛宗実録』にある安龍福の証言を引用している可能性が高く、安龍福の虚言や多くの不自然な発言に鑑みるとその内容も信用するに値しないことになる。
『万機要覧』軍政篇に『東国文献備考』の文をそのまま転写した文が書かれている。

  • 最終更新:2014-12-01 13:49:36

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